眼鏡の王道(仕事の恩師について)
私の仕事の恩師、故 森文雄 初代AJOC理事長、キクチメガネ社長の秘蔵っ子、一番弟子として体感いたしました恩師の凄さを後世に残したく二つ披露させていただきます。
①昭和53年3月、東京で森野さんのメガネドラッグ5割引き旋風が吹き荒れている時です。私も初代地区長になり1ヵ月過ぎて、キクチ最高幹部会議15人程で、5割引き対策として、私よりキクチファミリーメガネエック(一式5千円~2万円まで6セット)と2万円以上のフレームに分けることを提案しましたら、全員から猛反対され総スカンでした。常務(奥様)からも「キクチをエック屋にするのですか」と叱られ、その時森社長は一言も発せず黙って聞いてみえました。1ヶ月過ぎて、同じメンバーの会議の席で森社長より「植原の提案、今の時の流れに合っている」と決断され74店舗で実行しました。
おかげ様でお客様に喜ばれ、支持され、エックの実績は救世主となり、35年間で
キクチの売上高で1500億円位、AJOCにも惜しげもなく解放され、2000億円ほど
計3500億円位の売り上げを計上しました。5割引きに対して毅然と全社員に激を飛ばされ、とても嬉しかったです。
熊本市の布田さんがAJOC理事長の時、熊本でご夫妻と一緒に食事をしながら「そうですか、仕掛け人は植原さんでしたか、うちも大変助かりました」と言われ、森社長の英断と決断に感謝しかありませんでした。
昭和54年 イタリア ミド展示会後、森文雄社長ご夫妻とアルプスのメーカーにて
②また、昭和47年3月より名古屋駅 近鉄店 店長時代(年商9千万円を5年で5億円の売り上げに、社員9人→35人に、売場面積は40坪から120坪に)に森社長が何度かお店に来られ、店頭のサングラス売り場にお客様があふれていましたので、社長より
「植原、このサングラスの売り方、もらっていいか」と言われ、どうぞと申し上げましたら翌日には全社でサングラス部長の辞令を出し、5人の社員でスタートしていました。
AJOCメンバーにも開放され、まさしく天性の経営感覚ですね。
3度の売り場拡張のお願いも本社の取締役、担当部長は猛反対でしたが社長に決断して
いただき、若い店長の授業料だと思われても、実行させていただいたトップの英断のおかげと今思いますと感謝あるのみです。
よく三城の故 多根裕詞社長にも、3度の売り場拡張の度に新幹線を下車され見学に御来店いただき、労をねぎらっていただき励ましのお言葉をいただいたのが昨日のことのように思い出されます。
トップの英断の凄まじさにより、上にも下にも、ゾッとさせられます。私もその時には感謝しかなく、年齢とともに深く深く教えられます。
昭和53年 森文雄社長と本社忘年会にて
お釈迦様 インド聖地巡礼
ご恩ある御方のご縁によりインドのお釈迦様の聖地巡礼とお参りをさせていただき
感動と感激に心が震え、嬉しく、有り得ない至福の時間をいただけました。
只々感謝あるのみです。
平成10年の聖地お参りより令和3年にて23年となりますが、益々もったいなく有り難さが身に染みてまいります。心の宝物です。
平成10年12月 インド ブッダガヤ 大菩提寺
平成10年12月 インド ブッダガヤ 金剛法座前にて
平成10年12月 インド ナーランダ僧院
平成11年1月 インド ラージギール霊鷲山
平成11年1月 インド クシナガラ お釈迦様涅槃像